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1月18日 京都府木津川市にある相楽木綿伝承館を訪問した。
木津川市の「私のしごと館」内に伝承館はある(2010年3月に移転の予定)

IMG_0006.jpg展示図録2004/10月
そもそも 2004年に京都府立山城郷土資料館で「相楽木綿〜南山城の木綿と綿作」という展示会があり興味が有ったのだが、予定が合わなく、長女に見てきてもらったのだ
今そのときの本が存在する
 最近取引先の方が、実は昔相楽木綿を織っていた織元だと判ってここを紹介してもらったのだ。

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紺絣に鮮やかな色縞をいれるのが相楽木綿の特徴であるという。

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復元された相楽木綿

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綿繰り、綿打ち、綿紡ぎも体験できる
現在綿畑を作り始め、手紡ぎ木綿糸も挑戦中だとか。

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大和機 そもそもは奈良晒しの下請けであった。
明治以降、奈良晒しの需要が急速に落ちるとともに相楽では木綿を織り始めたという。
そのため、奈良晒しの機の転用があった。

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この大和機は経糸が斜めに張ってあり、手前に女巻きがあるが、その間の経糸の張力はきわめて弱い。
ろくろで綜絖を開口するため開口部は両口開口になるが、下口の開口で張力を掛けて、上口の糸は
張力がほとんどかからないように開口する。高機ではありながら、いざり機の影響をかなり色濃く残している機であると私は思う。

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大和機の全景 ろくろを支持ずる柱が極端に斜めに立ててある。まっすぐ立てても支障がないと思う。
おそらく、最初、柱はまっすぐに立っていたのだが、経糸を斜めにする必要があり、前足を徐々に長くして斜めにする過程で柱はだんだん斜めになっていったと考えられる。

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経糸が綾棒と筬框の重さのみで張力がかかっているような感じである。
開口も大変だろうし、織りにくいとおもう。がそれを補って風合いの良い布を織ろうとしたのだろう。

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綾棒がほとんど綜絖のすれすれまできている。とても開口がやりにくいと思うが、
この綾棒が重しとなって経糸に張力を掛けているようだ。

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経糸に張力がかからない布は、布耳がきれいに仕上げるのが難しいが経糸もウェービングしてとても風合いの良い布を織る事ができる可能性がある。紡績糸木綿単糸14番を使用

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大和機 この絣柄は一カ所をずらすことによってこの柄ができあがるという。
理屈はわかるのだが、実際どのように配置、ずらしをすればよいか?興味深い。

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こちらはその後考案されたチョンコ機
飛び杼装置がついてあり、能率も良くなっている
足が地面に直角に立ってあり、土間での使用を意図している。

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このチョンコ機には 胸木の下に布を通すようになっている。
間違いではない。経糸の傾斜を付けるためのもののようだ。
これによって、大和機に似た風合いの布が織れる可能性がある

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チョンコ機 飛び杼装置を付ける場合は上からつり下げるがっちりとした「つり下げ框」でなければならない。大和機の場合は紐で筬框を吊るし、平行を保つため筬引きがついている。「つり下げ筬框」は飛び杼導入と同じくして 和機に取り付けられたのではないか(私の説)と思っている。

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チョンコ機の全景 大和機とちがいこちらは柱やフレームはあくまでまっすぐに立てられてあり、経糸のみが斜めになるように考えられている。右向こうには通常の高機が置いてある。これは体験用である

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整経は往復整経

◆相楽木綿について

 かねてより見てみたかった相楽木綿。それが私のカラカミの取引先が昔やっていたと最近知った。
早速 その方の案内で 伝承館を訪れた。

 驚いたのはその機。一見居座機のような極端な経糸の傾斜。経糸にあまり張力を掛けずに織り上げるという高度な技術があったのだ。現在の高機は経糸に張力をかなり掛けて織る物が多い。布耳の確保がやりやすいし、布目が安定する。一方経糸と緯糸の極端な張力の差が平坦な織り物を作っている。
大和機のように張力を掛けねば 耳の確保が難しい。が経糸もウェービングしてとても風合いになる。
風合いを重視して織った布だと思う。 そしてそのほかの部分は織り手の技術力でカバーしていったのだ。
 ここにある大和機は奈良晒の機の影響を色濃く反映しているか、奈良晒の機そのものだった可能性がある。奈良晒がチョンコ機に近い織機を使っている事と比較するとおもしろい 

 絣の技術もなかなかのものである。絵絣の技法でなく、ずらしの技法を使っている。一カ所糸をずらすことによって 絣が次々ずれてゆき、柄を織り出す。この産地がただ者ではなかったことを知らされる。
木綿の紺絣に色縞を多用して とても華やかな木綿地になった。このデザイン力も 都を控えた土地ならではと考えられる。

 今回の訪問は時間がなかったこともあって、織機の構造におもな観察が集中した。反省!
括り方や染め方、風合いや柄などにも もっと調査をしたかったので それはまた次回にしよう。
まだ一年長女が奈良にいるので その間に訪れたい。

 急な訪問にもかかわらず 代表者の福岡佐江子さんが丁寧に対応してくださった。ありがとうございました。相楽木綿に勝る艶やかな方であったこと付け加えよう。
 福岡さんにHP文章校正していただきました。

LinkIcon相楽木綿伝承館HP

◆染織α掲載記事

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